常識と非常識は紙一重

世間一般で語られる「見た目で人を判断するな」と言う思想。
確かに一理ある。

が、これが決して完全なる人生の解答とは言い切れないと自分は思う。
何故ならそれは社会と言う現実世界においては、酷く脆く危うい存在であるからだ。


最近、職場で口下にピアスをした子が解雇された。
彼女には自分なりの信念があり、それを貫いた結果、こぅいぅ道を選ばざるを得なくなった。
彼女は決して物凄く前向きに仕事をする子でもなく、かと言って全然しない子でもなかったけど、一つ言わさせてもらうなら、ある意味“環境に左右されやすい体質”だった。
また今回のその環境もやはり決して良いものとは言えなかった。
勿論それは今に始まった事ではないが・・・。
そぅいぅ観点から見ると、今回の結末はある意味彼女を含めたその周りにも問題があるように思えて仕方ない。


見た目で人を判断した場合、彼女の解雇は妥当だろう。
しかしながら、見た目だけで人を判断してはならない場合、この裁きは100%有効と果たして言えるだろうか?

解雇の直接のきっかけを作った人がいて、彼女の自由過ぎる信念は、そこでは枠に当てはまらず、はみ出してしまった。
ただそぅいぅ結果に持ち込んだその人は見た目だけで彼女を悪と見なした訳だ。


自分は今回の事に関して幾つか疑問が残るが、きっと何も解決出来ずにこのまま悪戯に時が過ぎるのをただ見つめて行く事だろう。
その疑問を口にした所で何も変わらないのは十分分かっている。
また口にした瞬間、自分は周りから屁理屈を訴える子どもだと思われてしまうかも知れない。
今のこの環境に関してはピアスを付けているのは無論良くないが、人を見た目だけで判断するのは良くないのも確かだ。
だが、実際の状況やその人のそぅ思い当たった気持ちを十二分に察する事が困難なので、その先に考えを進ませようとするのはとても困難だ。
今回、見た目で人を判断するのは良くないと言う世間の常識は、この社会では通用しない事を学んだ。
そこに世界の矛盾のようなものを垣間見た感じがする。
きっとこれからも、こんな出来事を数多く体験して行くのか。