稲葉貴子卒業

大分、時が経ってしまって申し訳ないのですが。
良い機会なので改めて語りたいと思います。


いつも稲葉貴子を応援して頂きありがとうございます。
10/30を以って株式会社アップフロントエージェンシー稲葉貴子とのタレント契約が終了したことをご報告させて頂きます。
太陽とシスコムーン(後に「T&Cボンバー」に改名)のメンバーとして1999年4月デビュー以来、弊社のタレントとしてハロー!プロジェクトでの活動や、コンサート、舞台など約10年半活動してまいりましたが、今後の自身の方向性をマネージメントサイドと協議を重ねた結果、タレントとしての契約を一旦終了するという結論に達しました。
本人の出した決断を、ファンの皆様にもご理解頂ければ幸いです。


稲葉貴子からファンのみなさまへ】
いつも応援していただき、本当にありがとうございます。
この度、みなさまにお知らせしたい事があります。
私、稲葉貴子は今までこの芸能界で16年間活動してきましたが、一度自分自身を見つめ直し、違う角度からこの世界を見てみたいと思いました。
そこで、今まで培ってきた経験を生かしながら、11月からは所属事務所の関連会社で、サポートする側の立場となって歩んでいきます。
新しくスタートし、沢山の事を学び、経験して、また一つ成長できるよう頑張っていきたいと思っています。
そんな私を、これからもあたたかく見守っていただけたら嬉しいです。
きっとどこかでお会いする機会もあるかと思いますが、その時はよろしくお願いします。
2009年10月吉日 稲葉貴子

稲葉姉さんはハロプロの司令塔として、
初期の頃から活躍されていました。
そのパフォーマンススキルはとてもレベルの高いもので、
特にダンスに関しては天性の才能を持つ後藤真希ちゃんを
凌ぐともファンの間では目立っていました。
自分はごっつぁんのツアーに行った時に
そのダンスを見て世の中には上には上がいるんだなと
実感したのを今でも良く覚えています。
巷では“歌の前田有紀”、“ダンスの稲葉貴子”と
呼ばれていたぐらい。
2人の存在はハロプロがただ可愛いだけのアイドルグループでない事の
まさに生ける証明者だったのではないでしょうか?


太陽とシスコムーンが解散してからと言うもの、
精力的にソロ活動を展開し、
歌に舞台に、幅広い活躍をされた稲葉姉さん。
丁度ゲキハロ旗揚げ公演が行なわれた年、
何と5本*1もの舞台に出演したと言う異例の偉業を達成しています。
そこで培われた演技力は、
当時まだ舞台歴が殆ど皆無だったBerryzの7人に
多大なる影響力を与えました。
その証拠がDVDのオーディオコメンタリーにあります。
愛しき旦那と何十年振りに遠い過去で(電話で)再会するシーン。
そこで歓喜のあまり泣き崩れるシーンは胸を強く打つものがあります。


今思うと、良くいじられ役を買っていましたが、
それは仲間達からの愛情表現で、
また中澤姉さんと同じく上に立つ者への敬意の表れだったんです。
だからこそハロプロの司令塔と呼ばれたのかも知れませんね。
これからは新しい環境でその持ち前の技術力を駆使し支援役につかれると言う事で、
きっと今まで以上の活躍を成される事と思います。
今年の再結成ライブに行けなかった事、
酷く残念に思いますが、心はいつも稲葉姉さんの事を想ってます。


最後に、今まで本当にお疲れ様でした。
またこれからも応援しています。

*1: 6本だったかも知れません